
私はsoloのコンサートを頼まれたり、ごくたまに講演を頼まれたりすることがあります。soloのときは少しでもミジンコの話をしてください。といわれ、講演の時には1曲ぐらい演奏してくださいといわれること大変多くて困ったわけです。気持ちの切り替えがですね。
そこで、よしこうなったら講演もしましょう、ミジンコのDVD映像も見せましょう、演奏もしましょう。但し、勝手にやらせていただきますからね。ということではじめたわけです。最初にやったのは、建築家と称してさまざまな作品を生み、そこら中で物議もかもし出し、あまつさえ早稲田大学の教授でもある石山修武という人物(友人であります)の頼みで千葉県の某寺でやったと記憶しています。
この人物は最近「絶版書房」という、最初から絶版を目指す出版社を創ったりしています。風変わりという表現が似合うかもしれない。もし私が石山さんにそう言うと「あなたには言われたくはありませんよ」と冷たくいい放つでしょうがね。
しかし、「サカタ式」と銘打ってやったのは、”またしても”世田谷美術館で行われた石山修武展覧会のときであったと思い込んでいます。もちろん私が勝手に思い込んでいるのですから事実と違っていようがまったく構いません。
通常は講演といいますと、話すテーマがあらかじめあるので、それにそった話が行われます。
私の話も当然テーマには大いに添いつつ行われるわけですが、テーマにとらわれて我を忘れる?!または行方不明???というようなことがないはありませんのことあるか。
話は急に別の話にとんだように感じられる場合があります。いきなりぽんと次の話になりますときは、ただ驚けばよいのです。話は深追いしてきちんと話せばよいかどうかは時と場合によります。
きちんと話しても分からない場合は分かりません。そのときはまあ、残念だった!ということです。ましてそこからきちんとした結論が導き出されるわけでもありません。
論文の終いでも、「以上の実験(調査)結果から・・・・のような傾向が見られた。この点については今後の広範な研究成果が大いに期待されるところである」なんてことになることが多い。
しかしながら「風が吹けば桶屋が儲かる!」ということわざにあるように、 私はその時に思いついた言動をするので、聴いているほうは、どうして話がそこへ行くのか????ということがあります。
しかし、はっきりといえるのは私はいつも自分がやるあらゆることは・・・・・・・・・・すびばせん!ここから先は門天ホールで確かめてください。ごめなさいねえ、さいなら!