2010年05月16日

達谷窟毘沙門堂 坂田明+田中泯2010.6.6.

達谷窟毘沙門堂2010.6.6..jpg6月4日5日と坂田明trio+ヤヒロトモヒロで大河原えずこホールと一関ベイシーでやります。
 その後でこのようなことをやりますのでお知らせします。
posted by Akira Sakata at 03:22| お知らせ

2010年04月10日

軽井沢朗読館 こけら落としのお知らせ

知人でNHKアナウンサーである青木裕子さん定年退職されるに当たり、私費を投じて建てられた「軽井沢朗読館」出来ました。
入場無料ですが、席数に限りがありまして、完全予約制なので、詳しいことはチラシをご覧になって申し込んでください。
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posted by Akira Sakata at 16:21| お知らせ

2010年02月09日

down beat interview february2010

downbeat interview february2010.jpg昨年、chicagoへ行く前に東京で受けたインタヴュー記事がdownbeatに載りました。インタヴュアーのAlain Drouotがdownbeatに売り込むといってたので、へーとか思ってましたが・・・・出ましたね。辞書片手に読みたい人は読んでください。アハハハハ!この間東京の書店で探しましたが、この雑誌は扱ってませんでしたね。

(addtion) umbrella music festivalの総評は下記のURLでどうぞ!

http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=35088
posted by Akira Sakata at 14:57| お知らせ

2010年02月03日

映画「チャンドマニ」のお薦め!

チャナドマニ -01.jpg
 2009年「チャンドマニ(чандмань)」という映画が発表されました。まだ試写会の段階ですが、もうすぐに公開されると思います。
 私にとってチャンドマニ村は忘れることのないモンゴルの村の名前です。ホブド県というアルタイ山脈のふもとにある遊牧民の村です
 ここはホーミー(喉歌:一度に二つ以上の声を出す驚異的な歌唱法)のふるさとであります。多くの優れたホーミー唱者はチャンドマニ村の出身です。ソンドイ、ガンボルト、ツェレンダワ、この映画に出てくるダワージャブ、セルゲドルジなどなど沢山のホーミー唱者を輩出しています。
 私がTV番組「新世界紀行」でホーミーを紹介するためにチャンドマニ村へ行ったのは1990年の11月でした。民主化後間もないモンゴルの大地は空と草原の間に遊牧民のゲルと家畜達がいて、みんなが必死で生活を営み、そこに音楽がありました。 飼っている羊は大地に一滴の血も流すことなく遊牧民の手で死んで行きました。その命に手を合わせて冥福を祈り、肉と血を頂きました。それはたったの20年前のことでした。今も消えることなく続くホーミーの村「チャンドマニ(чандмань)」をぜひともご覧ください。
 映画はウランバートルに暮らす二人の若者がマイクロバスで二日かけてホブドへ向かいます・・・・・・さてさて一体何が起こるでしょうか・・お楽しみに!
www.chandmani.com

(注)チャンドマニ(чандмань)は実際にはチャンドマンときこえます。モンゴルはロシア革命によって成立したソビエト連邦に続き、世界で2番目に社会主義国になったのですが、その時にモンゴル文字の使用が禁じられロシアと同じキリル文字を使うようになったそうです。 
 したがって中国の自治区となった内モンゴルでは漢字とモンゴル文字と両方使っていますが、1980になるまでは中ソ間の政治的狭間にあってモンゴルと内蒙古自治区との交流は公でなかったため、さまざまな違いが互いの文化の中に生じた、と中国内蒙古自治区の首都フフホトにすむ馬頭琴奏者チ・ボラグさんから聞きました。
 大モンゴル帝国を作った国を二つに分断することで、当該地域の政情安定化を図ったものと思われます。
 ちなみに私がいったときの「新世界紀行」はyoutubeで見れる部分があるようです。そこでホーミーをやっているのがツェレンダワです。参考までに代表的なCDを一枚上げるとすれば、私がこれこそは母なる国の音楽だと思ったもので、
「モンゴル聲遥」ホーミーとオルティンドー、モンゴル人民共和国 国立民族歌舞団団員による演奏:キングレコードK30Y5118(シルクロード音楽の旅)シリーズの一枚です。
 このCDでホーミーをやっているのはガンボルトで,オルティンドーなどを歌っている女性は故ノロブバンザド女史です。素晴らしい作品です。
posted by Akira Sakata at 01:49| お知らせ

2010年01月08日

2月11日 サカタ式

サカタ式門天ホール2010.2.11.jpg サカタ式というものはなんだ!?ということでありますが。
私はsoloのコンサートを頼まれたり、ごくたまに講演を頼まれたりすることがあります。soloのときは少しでもミジンコの話をしてください。といわれ、講演の時には1曲ぐらい演奏してくださいといわれること大変多くて困ったわけです。気持ちの切り替えがですね。
 そこで、よしこうなったら講演もしましょう、ミジンコのDVD映像も見せましょう、演奏もしましょう。但し、勝手にやらせていただきますからね。ということではじめたわけです。最初にやったのは、建築家と称してさまざまな作品を生み、そこら中で物議もかもし出し、あまつさえ早稲田大学の教授でもある石山修武という人物(友人であります)の頼みで千葉県の某寺でやったと記憶しています。
 この人物は最近「絶版書房」という、最初から絶版を目指す出版社を創ったりしています。風変わりという表現が似合うかもしれない。もし私が石山さんにそう言うと「あなたには言われたくはありませんよ」と冷たくいい放つでしょうがね。
 しかし、「サカタ式」と銘打ってやったのは、”またしても”世田谷美術館で行われた石山修武展覧会のときであったと思い込んでいます。もちろん私が勝手に思い込んでいるのですから事実と違っていようがまったく構いません。
 通常は講演といいますと、話すテーマがあらかじめあるので、それにそった話が行われます。
 私の話も当然テーマには大いに添いつつ行われるわけですが、テーマにとらわれて我を忘れる?!または行方不明???というようなことがないはありませんのことあるか。
 話は急に別の話にとんだように感じられる場合があります。いきなりぽんと次の話になりますときは、ただ驚けばよいのです。話は深追いしてきちんと話せばよいかどうかは時と場合によります。
 きちんと話しても分からない場合は分かりません。そのときはまあ、残念だった!ということです。ましてそこからきちんとした結論が導き出されるわけでもありません。
 論文の終いでも、「以上の実験(調査)結果から・・・・のような傾向が見られた。この点については今後の広範な研究成果が大いに期待されるところである」なんてことになることが多い。
 しかしながら「風が吹けば桶屋が儲かる!」ということわざにあるように、 私はその時に思いついた言動をするので、聴いているほうは、どうして話がそこへ行くのか????ということがあります。
 しかし、はっきりといえるのは私はいつも自分がやるあらゆることは・・・・・・・・・・すびばせん!ここから先は門天ホールで確かめてください。ごめなさいねえ、さいなら! 
 
posted by Akira Sakata at 01:57| お知らせ

2010年01月02日

2月21日は芳垣君と誕生日LIVEをpitinnでやります。

 この2月21日で65歳になります。芳垣安洋君も同じ誕生日です。この日には私の好きなニーナ・シモンがいます。ドイツのENJAレコードのプロデューサーで友人のホルスト・・ウェーバーもそうです。データベースで見るといろいろな人たちがぞろぞろ出てきます。ですがほとんどの2月21日生まれの人はデータベースには載りません。載せるのはウンムークリッヒ,無理ポシブルですパジャウスタ。
 古いところではピアノの教則本で有名なカール・チェルニーが居ます。ギターのセゴビアや映画監督のサム・ペキンパーも居ます。最近知り合いになった動物行動学者、ゴリラ博士の山極寿一さんもそうでした。うーっ!うーぅ!
 ひとは地球上の意外なところで、ばったり出会う、という体験をしておおいに驚くものです。私にも沢山あります。前述のホルスト・ウェーバーは74年に初めて山下洋輔trioがヨーロッパ・ツアーに出かけたころにマーネージャーをやってくれていたので、古くからの大変親しい友人です。その彼とは互いに忘れられない遭遇をしています。
 ことは17,8年前の北海道屈斜路湖コタン、釧路川の流れ出る橋の上で起こりました。その日、私は妻とコタンにある丸木舟という民宿に泊まっていました。そこには「アイヌ詞曲舞踊団モシリ」という歌舞団があります。アイヌと和人の混成集団ですけど、私もそのグループと活動を共にしていた時期でした。その時は美幌峠までドライブしての帰りみち、屈斜路湖を左に見ながら、今はもう無くなりましたが、ガソリンスタンドのあるT字路の信号を左折しました。釧路川が流れ出るところは、車では、わりとすぐです。そこにホルスト夫妻と案内の地元の和人とおぼしき人とが3人で、湖側の橋の欄干越しに川の中を覗き込んでいた。
「あ、ホルストだ!」僕は思わず叫びました。「なに、言ってるのよ、ホルストが居るわけがないじゃないの」と妻。「いや、あれは絶対ホルストだよ。間違いない」「うそ!」などといってるうちに
はや車は彼らの前を通り過ぎた。窓から彼らの後姿を見た。うん間違いない。それで10mぐらい過ぎて車を止め、降りてから大声で叫んだ。
「ホルスト!」
「・・・・・・」
「ホルスト!」
「・・・・・・・」
「ホルスト!」3回目ぐらいで気が付き彼がこっちを見た時の顔はなかったなあ。
「アキラ!」びっくり仰天とはこのことなり!
「ホルスト!なんでこんなとこに居るんだ?!」
「お前らこそなんで居るんだ?!」
 訊けば互いに理由だあるからそこを通っている。ホルストはフライ・フィッシングのエキスパートでもあるから、橋の上から大きなニジマスを見てたらしい。実はこの前にわれわれは東京ではすでにあってた。北海道に旅行に行くことも聞いていたかもしれない。
しかし、しかし!
 俺たちは驚きのあまり全員興奮した。誕生日の同じ異国の友人同士がなんでここで会うのか?それはもう判らない!判らなくても良いのです。「判らないことが起こった」、そのことを共有する時間が互いの人生の中で発生したのです。
 いや、まあちょっとお茶飲んでいけよ、と民宿丸木舟に案内して
、あの世界の歴史上有名な「日独伊三国同盟」の根拠となったアイヌ民族の友人達を紹介した。(後で説明します)
 その不思議な縁が生きていることを豊かな気持ちにしてくれました。
 その後の二人で会うたびにこの話をしていて、何度も何度も驚きと喜びが繰り返すのです。
 さて、そんな具合で今年も芳垣安洋君と二人で企んだセッションをやります。芳垣君の連れ合いの高良久美子さんはうちの息子、学の最初の打楽器の先生でした。高良さんと私は、私のクラリネットの先生だった野崎剛史さんが佼成ウインドオーケストラ居たころに一緒に演奏した・・・なにぬねの・・・ぱぴぷぺぽ・・ちりぬるおわか・・と芋づる式にいろいろなことが出てきます。
 誰にもある誕生日とは思うけれど、本人にとっては年一回の貴重な一日であります。今回は65歳ということで国家社会制度の中での年齢が持つ意味も違ってくるわけです。今からの人生を考える上においてもターニングポイントであります。四捨五入の世界もあります。しかし年齢というものは、そのときが来たら避けられないから、四の五の言わずにやるしかないのですな。
 わかっちゃ居るけどやめられない!「あ、それ!スイスイスーダラダッタ、スラスラ、スイスイスイ!」と、くるのである。
 当日は素晴らしいミュージシャンに集まってもらいます。ヤッホー!ペンケパンケ?です。

(日独伊三国同盟の件について)
 その根拠とはこうだ。ヒットラーのナチスドイツはユダヤ人を一掃しようとしたぐらいゲルマン民族至上主義者(?)であったのにもかかわらず極東のモンゴロイドの日本人と手を組むなどとは
整合性が疑われる。それを正当化する根拠になったのが、
「日本人の先祖であるアイヌ民族は白人である!」というドイツ人学者の説であります。いま、ようやくアイヌ民族は日本の少数民族であると日本政府が認めました。アイヌ民族は旧モンゴロイドですからコーカソイドの白人でないことは明白でありますが、当時のナチスドイツは戦略上この説の整合性よりもこの説を利用することで三国同盟を結ぶ必然性ががあったものと推察されます。ちなみにドイツの博物館にはアイヌの資料が沢山あるそうです。
 さて、話題は変わります。
 私の友人のアイヌD君は東京で山手線に乗っていたときに、イラン人が寄ってきたらしい。
「お前どこから来た?」というので
「おれは日本人だ」と答えると
「ウソつけ!」と、ひつこく疑ってる。
しまいに「おれはアイヌだ!」こたえたら「そうか」と、納得して引っ込んだそうだ。
 この友人の父Iさんは大変に優れた御仁で、話題に事欠かないエカシ(男の長老のことを敬意をこめて言う言い方)であり、私も敬愛しているし、たまーには近くによってるが、多くは遠くに離れ、おもに、他のアイヌの友人A君や息子のD君夫婦から聞き出しては、涙を流して笑っている。腹が痛くなる。
「おい、Iさん、またなんかしてないかい?」とかいって。
 つまり、あまりにも奇想天外な芸術的発想によるIエカシの言動は、渋谷天外幽体離脱、現実的且つ非現実、東西南北雨あられ、驚天動地3回点半、転地諧謔は二度までも、平方根は波高しハマヘラハなのである。!
 ま、要するに大変迷惑ながら、息子夫婦のみならず関係者一同、最後には笑わざるを得ないというアハハハハハ!!!
 まあ、この人の言動からすれば、われわれ凡人の考えることなどはしゃらくさい!!!笑止!!!屁みたいなものだ!!!と思い知らされる。
「なーにがジャズだお笑いだ、科学?それがどうした!日常生活?そんな脳天気な生活は一回もしたことないべし!日本人として?ばかやろう!!!おれはアイヌ民族だ!日本人にしてくれと頼んだことは一度もなーーーい!!!いま、車の後ろのドアが閉まらなくなったから、ドリルで穴あけて、ドアと車を針金で縛って留めたんだ、それのどこがおかしい?!えーっ!?タイヤをノミで彫ってスタッドレス作ってどこがおかしい?!こっちは必死で生きてるんだ!文句あるか!!いってみれーーーーーーーーーーーーー!!!!!
 あ、サカタ先生!こりゃたいした立派な先生が来られたから、油断ならねとおもってたら、やっぱり先生はすごいな!・・・・・Iさんそんなことありませんよ・・・・いやぁー立派だぁ・・危うく負けるところだった????????!!!!!ガビーーン!」詳しく知りたい人は「熊野大権現のお告げ」第10巻第5章「阿寒湖畔におけるアイヌコタン形成の歴史、そのU昭和時代」蝦夷書院(岩手県大船渡市三陸町)刊、を参照されたし。(注)amazonでは検索できません。 では、所用のため、これにてごめん仕ります!
                                                          
posted by Akira Sakata at 17:31| お知らせ

2009年12月31日

2010年は人類が初めて経験するらしい!

L1020391.JPG「われわれは人類史上はじめて2010年を経験するもよう」
一関のジャズ喫茶ベイシーのマスターからのFAXにこうあった。 いや、参った。そうきたか!この点に関しては油断してた。
 今まで宇宙においてこれは前もあったぞ!という時空は存在しなかった。したがって宇宙のあらゆる時間の経過は生物であるか無生物であるかを問わず、常に新しいものであった。
 そうとは知らず、ああだこうだと、押し寄せる次のことに不安や慄きして、毎日七転八倒して生きている様は自分も含めて大変面白い。
 生を受けたものは、確実に死に向かって生きている。
 その中に生命の再生産も含めて圧倒的な命の爆発から地味な命の燃焼までさまざまな燃焼がある。燃焼しなくなったら燃え尽きて死ぬのである。などと、ごちゃごちゃいいながらも時空はひたすら容赦なく過ぎつつあることよ。

(注)写真はchicagoのミシガン湖畔です。対岸は見えません。まるで海でした。
posted by Akira Sakata at 00:00| 日記

2009年10月18日

Umbrella music fesitival 2009 in Chicago

11月7日、8日にchicagoで行われるumbrella music festival 出演いたします。
7日はhideoutdで元トータス(現Powerhouse Sound)のメンバーらとのセッションを行います。
8日にHungry Brainで「坂田明&ちかもらち」が演奏します。

http://www.centerstagechicago.com/festival/umbrellamusicfest.html

http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=35088
posted by Akira Sakata at 18:53| お知らせ

2009年09月28日

Friendly Pants 海外版review

posted by Akira Sakata at 14:04| お知らせ

2009年08月13日

坂田明trio 北海道ツアー2009

ckCcA[2009-02.jpgc@kCcA[2009|01.jpg今年はツアーの年です。景気が悪い上に地震だ台風だに加え、道東では天気が悪く日照時間が少なく作物の生育に大きな影響も取りざたされています。今年は全道で9箇所9公演となりました。主催をしていただく方々の好意と熱意に感謝しながらのツアーです。
例によって東京から自走して北海道を一周するのです。帰りはさすがに苫小牧から大洗までフェリーに乗りますがね。
posted by Akira Sakata at 13:38| お知らせ

2014年1月11日: Europe tour Rotterdam, De Worm

Akira Sakata, Giovanni De domenico Duo (together with Bruno Ferro Xavier Da Silva, bass and Onno Govaerts, drums)


2014年1月12日: Europe tour Amsterdam OCCII

Akira Sakata, Giovanni De domenico Duo (together with Jasper Stadthouters, guitar and Onno Govaerts)

その他の動画はYouTube:hoijaga053antajaroさんチャンネルでご覧下さい。